M女の隠れ家                                            <2005年5月の日記>


2005年5月の日記

5月3日
ゴールデンウィークの真っ最中です。
テレビのニュースでは海外へ行く人たちや行楽地の様子、高速道路や新幹線、空港の混雑を伝えています。
僕はこんな時にサイトの更新をしているということですから、まあ・・・そんなゴールデンウィークを過ごしているということです・・・・ね。
 
最近、気になったニュースについて僕の個人的感想を少し・・・。
まず、ライブドアとフジテレビの問題。
僕はホリエモンの行動にエールを送ります。(キッパリと)
やはり、今の旧態依然とした体制に風穴を開けるというのは必要であり、それによる摩擦は止むを得ないと考えます。
ただ、彼はあの若さであの体型はマズイ!
もっと、ダイエットしなきゃ。

次にバチカンのヨハネパウロ2世の死去によるコンクラーベについて。
僕はカトリック教徒ではありませんので全く関係ありませんが、次の大司教が決定したら煙突の煙の色で知らせる・・・?
何でそんなヘンなことを。
そんな大事な決定を知らせる方法が煙突の煙・・・。
大体、あれだけの大聖堂なのに、まるで石焼イモの屋台のようなチンケな煙突の煙だなんて!
もっといい煙突はないのか?
せめてサンタクロースが通れるくらいの・・・。

そもそも「コンクラーベ」というネーミングは何だ?
彼らはジョークが好きなのか?

そして、JR西日本福知山線の列車事故。
あれは痛ましい事故です。
でも、あれだけの重量の物体があんな高速移動をしていれば、何かの拍子に軌道から外れたら大惨事になるということは当然予想されることです。
昔と比べ「より速く、より過密に」ダイヤが組まれるようになってるのですから、その裏側では事故のリスクも増大していたはずです。

僕が毎日通っている通勤路の横を電車が斜めに車体を傾けながら高速でカーブしていきます。
それは見慣れた光景ですけど、海外の人が見ると「地震国の日本でこんな列車の走らせ方をしているとは。」と驚くかもしれませんね。
それにしてもJR西日本のトップの記者会見でのお詫びの仕方はヒドイ!!
雪印乳業の時もそうだったけど、組織のトップの態度としてはまるでダメです。
それ以前に普通の社会人としてもダメですね。
「ダメ」という以外に言葉が見つかりません。
むなしさを感じます。



5月7日
もうすぐ楽しかったゴールデンウィークも終わりに近づいています。
今年のゴールデンウィークは天候にも恵まれて、いい行楽が楽しめたんじゃないでしょうか。
といっても僕は遠くへ出かけることもなく、近くでのんびりと過ごしましたけどね。

この休みの日を利用して、少し書類整理をしました。
溜まっていた本棚の古い書類や雑誌などを処分し、保管しなければならないものをまとめて・・・・。
ずっとやらなきゃ、やらなきゃと思いつつ、なかなか手がつけられなかったことの一部を片付けました。

書類を整理していると「えっ、こんなものがあったのか?」という驚きに出会います。
自分の記憶から完全に抜け落ちてしまっているものが発見されるのです。
そういう発見をすると、記憶というもののはかなさを感じてしまいます。
人はその「経験」を「記憶」という形にしてとどめ、その記憶がその人を作り上げていくと考えられていますが、記憶そのものがはかなくそして頼りないものとなると、人というもの自体がはかなく頼りないものから出来ているということになります。

このBlue日記を書き始めてからは、この日記が記憶の一部のような意味を持つようになり始めています。
でも、この日記は大勢の人に見てもらっているわけですから、個人が特定されるようなプライベートなことや仕事のことなどは書けません。
そこで自分の記憶があまりアテにならないと感じ初めてから、この日記とは別にいろんなことを書き留めておくことをしています。
後で振り返って思い出したり確認する手助けになればと、パソコンの中で表にして書きとめているんです。

以前は過去のことにほとんど興味もなく、未来ばかりを見ていましたけど、最近は過去の思い出を大切にしたいと感じるようになりました。
懐古趣味という言葉にはちょっと抵抗があり、多少それとは違うという言いたい・・。
自分自身の確立という意味で過去を確実にしておきたいという気持ちでしょうか。

失われていく記憶とともに自分自身も崩れ落ちていくような不安さを憶え始めたとも言えます。
もし痴呆症になったら肉体は存在しても、僕という人格は記憶とともに失われていくような気持ちです。

ネバーエンディング・ストーリーで主人公が記憶を少しずつなくしていくところがありましたけど、あれを見た時にとてもゾッとしました。
もし記憶がなくなったら自分は誰なのか?
自分の存在にかかわる根幹が記憶ということですから。
マンガの少年サンデーにずっと以前に連載していた「うしおととら」というのの中に、主人公以外の人が全て自分についての記憶を失ってしまい、誰も自分のことを知らない状態になってしまうというストーリーがありました。
また、「千と千尋の神隠し」も自分の名前を取られたら元の記憶もなくしてしまうという設定ですよね。
もちろん最後にはどのストーリーも記憶を取り戻すんですけど、もしそれらの物語で記憶が戻らなかったらと考えると、とても恐くなります。

記憶についてのSFチックな恐い夢を見てしまいそうな・・・そんなゴールデンウィークです。

5月8日
今日で連休も終わり、明日からまた慌しい日々が始まります。
混雑した電車にまた乗るのかと思うと憂鬱に感じますけど、普段の状態に戻るということに少しほっとする部分もあります。
憂鬱と安心、不安と喜び、期待と怖れ・・・、そういう相反する心理が同居している姿が普通の姿なのかもしれません。

以前、僕の掲示板によく投稿してくれるM女性からのメールにこんな内容がありました。
そのメールには、これまで体調が悪くて調教をしてもらえなかった時には性欲が高まり身体がうずいてしまうのに、今、体調が良くなって健康を取り戻したらどうしたことか性欲が全然なくなっているということが書かれていました。

できない時には余計にそれをしたくなり、手に入らないものに限ってさらにそれが欲しくなる・・・・、でも手に入れた瞬間に興味や関心をなくなってしまう、そんな矛盾したような心理は、人間の本質的なものかもしれません。
小さな子供がおもちゃ屋さんで新しいおもちゃを泣いてねだったのに、買ってもらったらもう他のものに関心が行っているような、そんな感じです。

新しいものに興味を持つというのは自然な感情かもしれませんけど、一方で古いものに愛着を感じるということもあります。
僕の持ち物にはそんな古いものがいくつもあります。
古くて使いにくくてみすぼらしく不恰好なんですけど、なかなか手放せなくていつまでも使っている・・・、新品を買えばいいのに、そんな高額なものでもないのに、と思うものがあります。

でも新品にはない何かをその古いものは持っています。
思い出につながる「道しるべ」のようなものかもしれませんし、単に「味」と表現されるものかもしれません。
古いものを失うと、自分の一部を失ってしまいそうな、そんな感覚にとらわれそうで捨てきれないで使っています。
でも一方で新品にも興味があり、時々お店で眺めたりもしています。

結局、新品を買ったのに古いものも捨てきれずにそのまま使い続けていて、部屋の荷物を増やしている・・・、そんなこともあるんですけどね。

5月28日
最近、5月のさわやかな風をあびながら、サイクリングを楽しんでいます。
この季節はサイクリングに最適です。

・・・と初めは少し言い訳を。
更新が遅れていたのは、実はサイクリングばかりをしていたんじゃなく、パソコンの設定にトラブルが発生して、その復旧に手間取っていたんです。
現在もまた完全復旧には至っていません。

早く直さないと、いろいろと支障が出てしまいます。
がんばらねば。

5月29日
ようやくパソコンのトラブルも、解消に向かいつつあります。
なかなか大変でした。

パソコンのトラブルのためにメーカーやプロバイダーなどのコールセンターに電話したんですけど、そのサービスレベルは大きく違いますね。
パソコンメーカーのコールセンターは、とてもレベルが低くてがっかりです。
とにかく待たせすぎです。
「順番にオペレーターにお繋ぎしますのでそのまましばらくお待ちください」というアナウンスの後、15分も待たされました。
その後、数回同様の電話問い合わせをしたんですけど、やはり15分程度は常に待たされます。

一方、プロバイダーの方はすぐにオペレーターの女性が電話に出てくれて、親切に教えてくれました。
この違いはとても大きいと感じます。
プロバイダーのオペレーターの女性には、とても感謝、感謝です。

知識も豊富だし、なによりも親切です。
この辺が企業の力の差なのでしょうか。
それとも重点の入れ方の違いでしょうか。