M女の隠れ家                                            <2006年7月の日記>


2006年7月の日記

7月2日

もう2006年も半分が過ぎ去ってしまったんですね。
早いなあって感じます。
この半年の間だけをふり返ってみても、いろんなことがあったなあってつくづく考えさせられます。でもたくさんのことを忘れかけてもいます。
だから僕は日記を書いていますし、またこの日記以外にも記録をつけているんです。
そうすることで、後から思い出すことができるようにと。愛奴の写真を大切にしているのも、後からふり返ってその時のことを思い出したいからです。
僕の大切な大切な思い出ですから。

さて、愛奴と会う約束の日時にたまに大きく待たされたり、時にはドタキャンをされたりします。
僕のようなビジネスマンにとっては時間は絶対に厳守すべきものという強迫観念のようなものがありますけど、まだ若い女の子にはそれほどの時間の感覚がないようです。
そういうことは僕ももう十分に承知していますから、大体のんびりと気長に待っています。

駅の改札口を出たところで30分や1時間くらい待っているというのも、あまり抵抗がないんです。
行き交う人々をただボーっと眺めているのは、そんなに悪くはないものです。
でも、それだけ待った挙句にすっぽかされたりすると、とんだピエロですけどね。



重いカバンを下げてのすっぽかされた帰り道は、なかなか寂しいものがあります。
何だか最近はそんな経験が増えてきたような気がします。
時間や約束を守ることって、僕にとっては社会で生きていくうえでの絶対条件のように思っていましたけど、どうも違う感覚になっているのでしょうか。

・・・今日は少しグチっぽいですね。・・・これくらいにしましょうか。

7月5日
最近、何だか元気がありません。
ストレスが溜まったままで、まるで永久凍土のように僕の心の奥底に積もっているような、そんな溶けないストレスを感じます。
仕事がうまくいかない時期は、どうももうひとつ元気が出ませんね。

現代人が「癒し」を求める気持ちもすごくよく分かります。
自分の気持ちをコントロールするのは、その人の個性や状況に応じて工夫が必要であり、万人向けのやり方でその人のストレスが消えるというものでもありません。
お酒を飲むことでストレスを解消できる人の多いようですが、僕はあまり飲めないタイプなので、その方法は効果がありません。
・・たまに逆効果になったりするくらいです。

運動するのはいいですね。
サイクリングは僕の手軽なストレス解消法です。ただ雨の日が続くとサイクリングに行くことができないのが難点です。
その他にペットもすごく「癒し」の効果があり、現代人のストレス解消に効果的だとよく言われています。
僕もそれは賛成できます。
ただ、僕の住んでいるアパートはペットが禁止のようです。

本当は僕は猫を飼いたいんです。
小さな子猫から育てたいなあって、ずっと思っていました。
部屋の中だけで育てていれば、バレないと思うので飼おうかなあって本気で考えています。
ただ一人暮らしでペットを飼っていると、いろんな問題点も出てくることがあると思うので、すごく迷っています。
どうしたものかなぁ・・・・。う〜ん・・・。

  ニャァ。


7月8日
昨日は七夕でした。
一年に一度、織姫と彦星が会える日、そして今朝夜明けとともに来年の再会を誓ってまた別れたのでしょうか?

別れの形はいろいろです。
僕もこれまでにいくつもの別れを経験してきました。
大切な人、愛する人との別れは、どんな形であっても辛いものです。

一番辛い別れは、もう二度と決して会えなくなる死別です。
死んでしまったらもうどうすることもできません。この別れはその人の過去しか残さない、現在も未来もない永遠の別れです。
アルバムの写真を見るたびに、心がねじれるように悲しく辛くなります。
その人との「時」は、もうそこで止まったままです。時計の針は動かなくなったまま二度と進みません。

また大切な人、愛する人が、遠くに行ってしまうことでの別れもあります。
季節は春、就職や転勤、進学などで、遠くに行ってしまう場合に別れが発生します。
新しい道に進んでいくのですから、決して後ろ向きなわけではないんですが、やはり別れは辛いものです。
いつか会える日も来るかもしれません。
辛いけど、手を振って別れます。

そして、二人の気持ちが変わったことによる別れもあります。
これがケースとしては、一番多いのではないでしょうか。
どちらか一方の気持ちに、いつしか変化が訪れます。他に好きな人ができたとか、気持ちが冷めてしまったなどの理由があります。
そんな場合は、変化に取り残されてしまった側が辛くなります。
でも変化していった側も辛いものです。
どちらがより辛いかなどは誰もいえませんし、またそんなことを比較しても何の意味もありません。
僕のこれまでの別れの経験からいうと、僕から別れたいという話を切り出して相手が別れたくないというような場合が、僕にとっては辛いです。
相手の女性から別れたいといわれた場合や、突然連絡が取れなくなって結果的に別れていった場合のほうが、僕の精神的な辛さはより小さいものです。
僕から別れたいという話を切り出すようなことは、とてもまれですけど・・・。

人生は出会いと別れの連続です。
出会いがあれば、必ずいつかその人との別れが来るのです。
出会いの数と同じだけ別れがあるのです。
その別れの辛さをじっと耐えて、心が癒えるのをただ静かに待ち続けます。
歯を食いしばって・・・。

7月9日
森の奥深くに、群れからはぐれた一匹の狼がうずくまっています。
大きな傷を負っていて、草むらの陰でじっとしていて動きません。
傷は深手で命にかかわるくらいです。

傷口は赤くバックリと開いていて、赤い血が心臓の鼓動に合わせるかのようにドクドクとその獣の体から流れ出ています。
でもこの狼はじっと前を見つめ、耳をそばだててピクリとも動かずに傷の痛みを耐えています。
危険が去ったと断定できないかぎり、少しでも動いて音を立てることはできません。
カサリとも草むらの音を立てず、じっとその下にうずくまって身を隠し周りの気配に神経を張り詰めています。

体から流れ出ている血が、このまま止まらなければ命にかかわります。
「血よ、早く止まってくれ」
狼はそう願いながら、ただひたすら傷の痛みに耐え続けます。
歯を食いしばって・・・。

7月13日
狼はハッとわれに返りました。
気絶していたのだろうか、それとも眠っていたのだろうか、そう自分に問いかけます。
この草むらの陰にうずくまって、もうどれだけの時間が過ぎただろう・・。
何度目かの朝を迎え、今、風の音だけが聞こえます。

まだ生きている。
それが実感できた朝でした。
危険の気配が薄れている、まだ完全に危険が去ったわけではないが、あの危機は過ぎたようだ。
狼はそう感じました。

赤い血が流れ出ていた傷口を見るとどす黒くなって固まり、新たな出血を止めていました。
「血が止まっている」
狼は一安心しました。
だがほんの少しその体を動かそうとしただけで、傷口から脳天にかけて電流のような激痛が走ります。
「ぐっ・・」
低いうめき声が漏れました。
まだとてもまともに動ける状態ではありません。
でも当面の危機が去った今、いつまでもここに留まっているわけにもいきません。
体力の消耗が激しいのです。
あれからもう何日も何も食べていない、一度降った雨の水を舐めただけでした。

・・・仲間の群れはもう遠くに移動してしまったはずだ。
自分だけがここに取り残されたのだ。
この体で今から仲間の群れに追いつくことは不可能だ。

まだ体に残る強い痛みとともに、狼はその現実をありのままに受け入れました。
これからはただ一匹で生きていかなければならなくなったのです。
そのことを悟った狼は、深い傷を負った体を引きずるようにしてその草むらから歩き出しました。
取り残された悲しみと、傷の痛みにふらつきながら・・・。

7月19日
半分ほどに欠けた月が、雲のない夜空に青い光を放っています。
深く澄んだ光が、静かに森の木々を青白く照らしています。

「くおぉぉぉぉ・・・・・んんん・・・・・・・・・」
突然、森のどこかから狼の遠吠えが響き渡ります。
尾を引くように長く伸びた鳴き声が、夜空を渡っていきます。
どことなく力のない鳴き声は、段々と細くなって森の奥に消えていきました。

この狼の遠吠えに応える声は森のどこからもありません。
森は狼の鳴き声を吸い込んでいきます。

「くおん・・・おぉぉぉぉんんん・・・・・」
先ほどと同じ声の主の鳴き声が、また森の中を流れていきます。
でも、さっきよりもずっと小さくて悲しげな声です。

いつまでたってもこの遠吠えに応える声は森のどこからも聞こえてきませんでした。
森は静かに月の青い光を受けていました。

月の形が変わり、いつしか時が過ぎていきました。
森にはあの夜の遠吠えを最後に、二度と狼の声が聞こえることはありませんでした。
もう二度と・・・。

7月21日
狼が駆けていきます。
タタタタタッ。
軽く小さな足音ですが、素早く風が吹き抜けるような速さで森の中を駆け抜けていきます。

もう傷の痛みはなくなり、衰えた体力も回復しています。
リズミカルな足取りは、滑らかに流れるように見えます。
しかし、その4本の足は確実に地を蹴っており、自在にその躯体のスピードと方向を操っています。

狼は森のはずれに出ました。
草の中にそびえる岩場を軽々と駆け上り、その岩の頂上に立ちました。
ほとんど息も乱れていません。
静かな呼吸で岩の上から森を見下ろしています。

しばらく森を見つめていましたが、狼は吠えることもなくその森を背にしてまた走り出しました。
もうこの森に戻ることはないだろう。
そう感じながらも、ふり返らずに・・・。

7月22日
もうこれで狼さんのシリーズは終わりにします。
人はどんどん変化していくものだということを、今度もまた実感しました。
誰もその変化を止めることはできませんし、また止めるべきでもないと思います。

まさに一期一会ですね。
だから、「今」というこの一瞬一瞬を大切にして生きていきたい。
そう強く思います。

さて、新しく調教写真館に「奴隷 幸子(さちこ)」のシリーズを作っています。
まだ1ページだけですけど、これから順に作っていきますので、お楽しみに。
精神的に落ち込んでいる時は、何か作業に没頭していると気持ちが落ち着いてくるものです。
だからしばらくはこの調教写真館を作って行こうかと思っています。

僕は、これまでに何度も落ち込んだことがあります。
そんな時、大体僕は部屋の掃除をしていました。
掃除はとても没頭できる作業です。

精神的に落ち込んだ後は、部屋の中がさっぱりときれいになります。
そしてきれいになった部屋の中を眺めていると、いつしか落ち込んでいた心も元気を少し取り戻し始めているものです。
掃除は、一石二鳥です。

でももっともっと落ち込んだ時は、掃除をする気も湧かなくて体も動かしたくないという気になります。
そんな時は、僕はただ眠ります。
いつまでもいつまでも・・・。

7月23日
  「一度裏切ったヤツは、何度でも裏切る」
さいとうたかを原作のマンガ「ゴルゴ13」の中の1シーンです。
ギャングのボスのところに、裏切りを働いた男が「とっておきの情報」とやらを持って許しを乞いにやってきました。
幹部がボスに「別室に待たせています」と伝えました。
ボスはその幹部と手下どもの前で、葉巻をふかしながらその時に言ったセリフです。

裏切りなど人はめったなことでは犯すものではありません。
裏切りという行為には精神的な面で高い壁があり、キリストとユダの昔からその行為は厳しく扱われてきているです。
その裏切りが行われたということは、精神的なその高い壁が崩れたということを意味します。
一度崩れた壁は、なかなか修復できずその後も容易に乗り越えられてしまうものです。

また、人は誰でも知らず知らずのうちに、周囲の人々を「大切な人」と「どうでもいい人」に分類しています。
「大切な人」に対しては、その信頼を維持することに努め、裏切りなどは行わないものです。
でも「どうでもいい人」に対しては、信頼の維持などそれほど重要ではなく、自分の都合が優先してその人への裏切りを容易に行ってしまいます。
だから、裏切りが行われたということは、「大切な人」から「どうでもいい人」に分類変えされたということを意味します。
となれば、また何度でも裏切りは行われるということです。

どちらの理由であっても、一度裏切ったヤツはまた裏切るというのは、十分に納得できるものなのです。
ギャングのボスは、その男の写真にナイフを突き立てて、手下どもに言い放ちます。
  「裏切り者には死を!」

7月25日
いやぁ〜。ついにこのBlue日記も、さいとうたかをの世界にまで足を踏み入れていまいましたねぇ。
「ゴルゴ13」のシリーズは僕も大好きなんですけど、とんでもないくらいに長く続いているマンガなので、ほんの一部くらいしか読んでいません。
いつかヒマな時にでも、マンガ喫茶で数日かけて読破してみたいものです。

ひとつのことをずっと長く続けるというのは、ある意味マンネリになったりしてマイナスでもありますが、逆に続けていられるというだけでプラスの別の価値が生まれたりします。
その長さ自体が価値を持つのです。
僕のこのサイトもいつか「よくまぁ、こんなに長くやっているものだ。」と飽きられるくらいになって、それだけで価値が生まれるようになりたいものです。

マンガの長さでは「こち亀」が最長だと何かで見たことがあります。
秋本なんとかという人が書いているんですけど、僕もあのマンガは何度も見ました。
とてもおもしろいですね。
テレビよりもマンガのほうが僕は好きです。

あのバカバカしさが、僕は大好きです。
でも、僕はマンカを読みながら声を出して笑ってしまうんですよ。
ひどい時には、笑いこけてしまいます。だからこういうマンガはとても電車の中では見れません。
電車の中やマンガ喫茶で僕が笑いこけている姿は、あまりサマになるものでもないしなあ・・・。

7月28日
SMはお互いの信頼が基本だと、僕は強く思っています。
この日記にもこれまでも何度か書きましたけど、M女性は体を縄や拘束具で縛られ、身動きがとれない状態でS男性に調教されるわけですから、相手を信頼できなければとてもSMの素晴らしさを感じることができません。
一方のS男性も、自分が今調教しているM女性が自分を信頼してくれているかどうかが、その調教内容に大きく影響します。
もし信頼されていないと感じたら、もう調教を進められなくなってしまいます。

「信頼のないSM」は「愛のないセックス」と同じです。
特にSMはとてもメンタルなものですから、信頼が揺らいでいるとSMはとてもできるものではありません。

単に緊縛だけされたいとか、ぶたれるのが好きというだけで、主従関係やご主人様と奴隷というような関係になるのは嫌という女性もいるようですけど、僕は逆で精神的なつながりや信頼関係のないSMはできないのです。
僕を信頼していない女性を縛ることは、僕にはできないことです。
もし僕を信頼していない女性を縛る必要があったら、それは僕にとってはSMではなく、ただの義務的な仕事かあるいは苦痛のようなものになります。

信頼がしっかりとあれば、縄や鞭などの道具を使わなくても、ただ首輪とリードを付けて僕の足元でじゃれているだけで、とても素敵なSMになり楽しい素敵な時間を共有できると思います。
僕はそんなSMがしたいのです。

7月29日
先日のこの日記に僕がマンガが好きだと書きましたけど、実際には僕はマンガをもうずっと買ったことがありません。
この前にマンガを買ったのは、多分10年以上前だと思います。もう記憶にもありません。
マンガ喫茶にもごくたま〜に、他に何もすることがなくなったら行くくらいです。
年の数回も行くかどうかと言ったところでしょうか、ここ1年以上行っていません。
生活の中での優先順位は、ずっとずっと下のほうです。

でもマンガを見るのは好きなんです。
昨夜、テレビで「となりのトトロ」をやっていましたね。
もう何度も見た映画ですけど、何度見ても心が癒されます。
何だかホッとするんですよね。

この映画の登場人物は女性ばかりで、男性で目立つのはこの父親くらいなんですが、何だか随分と頼りない男です。
もしこんな男が実在したら、家族は困るでしょうねぇ。
お気の毒としかいいようがないくらいです。
ま、映画の中だからいいですけど。

7月30日
昨日は隅田川の花火大会でした。
去年、見に行って大変な人混みを経験しましたので、今年はもう行きません。
あんなの一度で十分です。

さて、もう皆さんは夏休みに入っているんでしょうね。
僕はサラリーマンですから、夏休みもなく働いています。
通勤電車の中でも、普段はあまり見かけない小さな子供たちの姿が目に付きます。

夏休みは時間がいっぱいありますから、いろんなことができます。
ネットでいろんなSMサイトを巡るのもいいかもしれませんよ。
またメールでお話するのも楽しいですね。
初めての経験もできるかもしれません。
ほんの少しの勇気を出して。
僕は皆さんからのメールを待っていますから。
調教希望メール