M女の隠れ家

<2012年3月の日記>
2012年3月の日記

2012年3月1日
3月になりました。
3月は別れの月です。

これまでに何度も別れを経験してきていますが、その内の多くが3月でした。
そして、僕自身も何度も転勤で引越しをしています。
それは、全て3月です。



でも、別れがあれば新しい出会いもあります。
4月になれば、新しい出会いが待っています。

4月7日(土)は、2回目のパーティの日です。
また新しい人と出会えるのを、僕は楽しみにしています。
1回目のパーティに参加していただいた方とも、またお会いできるのもすごく楽しみです。
今度は、もっとゆっくりとお話がしたいと思っています。

新しい出会いがなければ、人生は寂しくてつまらないものになります。
僕は、積極的に新しい出会いを求めて、もっといろんな活動をしていきたい。
そして素敵な人と出会えて「絆」を結ぶことができたなら、それはとても素敵なことだと思います。

パーティへの参加をご希望の方は、こちらからお申込みください。
親睦パーティのご案内

3月2日
2月29日の日記の続きです。
AIJ投資顧問が2000億円もの企業年金を消失したニュースは、僕も興味を持って見ています。

金融業に勤める人は、概して世間相場よりもかなり高い給料を取っています。
それは、その人たちの働きに見合っているかと言えば、決してそうではありません。
あの給料に見合うほどの高い生産性を上げている人など、ほとんどいないものです。

なぜ生産性に見合わない高い給料が支払われているのかと言えば、その理由のひとつが不正の防止です。
内部の者の不正を防止するのは、とても難しいのです。
「これだけの給料を与えておけば、世間相場から見ても十分過ぎるくらいだから、わざわざリスクを冒してまで不正はしないだろう」という経営者の考えです。

この方法は、これまである程度は機能していました。
でも、完全ではありません。
世間に知られていない不正、会社の中で握りつぶされたり、もみ消された不正は山ほどあります。
信用が第一の金融業にとって、スキャンダル、不祥事が発覚するのは避けたいですから。
「発生」しても「発覚」するのは避けたいということです。

では、不正はどこで発生するのでしょうか?

組織を分解すると、
@経営者、役員クラス
A幹部クラス-部長職レベル
B中間管理職-課長、係長クラス
C一般社員-ヒラ、非正規雇用など
の4段階に分けられます。

このうち、最も不正の発生率が高いのは、実はAの幹部クラス(部長職レベル)なのです。
発生件数でみれば、BやCは人数も多いですからこのクラスが最も多くなるのですが、発生件数を人数で割った発生率でみると、Aの幹部クラスが最も高くなります。
BやCクラスで発生する不正は、会社の備品を持ち出したとか、接待交際費の領収書をごまかしたという程度の、可愛いものです。
これらの不正は、会社の仕組みや制度、そして高い給料で、ある程度は防止されます。

会社で発生する金額の大きな不正とは、横領と贈収賄、そしてインサイダー取引です。
この不正を冒すには、それなりの権限が必要です。
その権限を持っているのが、このAの幹部クラスだということです。
金額が大きくなれば、リスクを冒す価値も大きくなってきます。

幹部クラスの不正は、金融業としては公表しづらいものです。
いろんな手立てをして、不正された金額を穴埋めをし、損失を先送りしてきたのを、これまでにも何度もテレビや新聞で見てきました。
マスコミに出てきたのは、氷山の一角に過ぎません。

知られていない不正は、はるかに多く発生しているはずです。
何百億円とか何千億円という金額の不正は、なかなか隠し通せませんけど、何億円とか何十億円レベルなら、穴埋めは簡単です。
不正をして個人が得る金額としては、何億円や何十億円レベルでも十分です。

長年、その会社に勤めてきて、普段は立派のことを言っているのが幹部クラスです。
その人たちが、残りの勤務年数と不正で得られる金額を天秤にかけると、若手でまだ長い将来がある人よりもリスクを冒す価値が出てきます。
目の前にぶら下がっているニンジンを我慢できるほど、人は善良でも愚かでもないということです。

3月3日
今日はお雛様です。
この日は僕にとって、ずっと無縁の日でした。
今でも、何も僕には関係のない日です。



さて、昨今の会社では、英語ができるとかできないで就職や昇進に影響が出るとか。
課長になるにはTOEICで何点以上が必要などとも言われています。
かつて、NOVAなどの会社が繁盛していた理由のひとつです。

これまでは、まだビジネスに英語が必要だと言われてきましたが、アメリカはもう落ち目です。
今、国際的に最も力をつけてきているのが中国ですから、これからは中国語ができるかどうかが就職や昇進では英語に代わって必須になると言われています。
その時代その時代で、最も力のある国の言葉を話すことができるかどうかが、ビジネスでは求められるのです。
でも、中国もそろそろピークに近づきつつあります。
あと5年もすれば、ピークアウトしていることでしょう。

中国の次に来るのは、インドだと言われています。
となると、就職や昇進ではヒンズー語が話せるがどうかが、大きく影響します。
10年先を見てビジネスを考えるなら、落ち目の国の英語なんか学んでいては全然お話にならない、中国語でも今から学ぶには遅いくらいです。

これからはヒンズー語です。
時代の最先端をいくビジネスマンは、ヒンズー語が話せなければなりません。

外資系企業は、当然、中国とインド企業になります。
外資系企業に勤めている人の上司は、中国人かインド人です。
もしインド系企業に勤めるなら、お昼にハンバーガーなど食べてはいけません。
インドでは牛は神聖な生き物ですから、それを口にすることは許されないのです。

また、インド人は数字に強いのが特徴ですから、金融業とはとても相性がいいのです。
怠慢な日本の金融業が外資に乗っ取られる日は、そう遠くありません。
10年後には、丸の内のビルの最上階オフィスから皇居を見下ろしているのは、ターバンを頭に巻いてお髭ボーボーのインド人になっているかもしれませんよ。



3月5日
前回のパーティは、初めてでしたのでいろんな不安がありましたけど、今度は2回目となり不安もかなり少なくなりました。
2時間のパーティが、あっという間に過ぎてしまったという声を多くの方からいただきました。

パーティが始まって最初のうちは、皆さん緊張していたのか静かにされたいた方もいましたけど、後半はとても賑やかにいろんな方とおしゃべりをしていて、最後の閉会がなかなかできないほどでした。
そこで、今回は時間を1時間早めて、午後6時過ぎにパーティを開始します。
午後8時過ぎにパーティは終了となりますが、その後で二次会も十分にお楽しみいただける時間設定です。

今回のパーティ会場の場所は、すぐ近くにいろんなお店があり、二次会をするのも便利なところを選びました。
4月7日(土)の頃は、桜の花も散り始めていて、もう春の暖かさが感じられる季節です。

新しい季節に新しい人との出会いがあることを、とっても楽しみにしています。
新しい人との出会いは、新しい世界を広げてくれます。

3月7日
今月のトップページの写真を見て、「ズルい」という感想のメールをいただきました。
トップページに載っている女の子が「ズルい」ということです。

当初、僕はこの「ズルい」という言葉の意味がよく分かりませんでした。
でも、その言葉の裏にある心理を聞くと「なるほどなあ」と感じるものがあります。

「あんなに可愛い下着を着て、僕から調教されている。そんないい思いをしているのは、許せない」だから「ズルい」。
「私だって、私だってあんなセクシーな下着を着けて調教されたい、でもそれはできないこと」だから、それをかなえている子は「ズルい」。
そんな意味のようです。

努力に見合った以上の成果を手の入れている人を見て「ズルい」というのだと思います。
「うらやましい」という言葉よりも、もう一段くやしさが込められているような感じです。

若者言葉だと思いますが、感覚的にも十分理解できます。
昨今の格差問題に対しても、本人の努力だけではなく「運」に左右される部分がとても大きくて、たまたま運よく恵まれた境遇にいる人を見ると「ズルい」と感じるのです。
まあ、「運」てえヤツは、昔っからズルいんですよ。
今はまだマシになったほうです。
昔は、もっと家の格差が激しくて、どんな家に生まれるかによってその人の一生が決まってしまいました。
貧しい底辺の家に生れたなら、そこから這い上がっていくのは絶望的なほどでしたから。

若い人以外は、この「ズルい」という言葉を不正やインチキをしているというような意味合いで使います。
この人も、言っています。





まあ、なんたる自己弁護でしょう。
ズルいのは自分の問題なのに、大人全般の問題にすりかえています。

この論理が、ズルい。
この理屈づけのやり方が、ズルい。

3月11日
今日で、あの震災からちょうど1年です。
震災の後、しばらくはテレビも見ることができないほどでした。
テレビの画面に映し出される映像が、あまりにも悲惨で悲しくて見ていられなかったんです。

あれから1年が経ったのですね。
この1年間に、いっぱいいっぱい苦しんで悲しんで、多くの涙が流されたと思います。

大切な人を失った、その悲しみを時々想像します。
きっとものすごく辛いだろう。
ものすごく悲しいだろう。

3月11日は、これからもずっと思い出の中で悲しみの日として残ります。
悲しい春です。

3月12日
昨日のテレビ番組を見ていて、あらためて人とのつながりの大切さを感じました。
この1年、「絆」という言葉が言われ続けてきましたが、まだ人と人とのつながりができているわけではありません。

特にSMでは、M女性が孤立していると感じます。
SMについて悩んでいるM女性がとても多いと思います。
誰とも相談できず、誰にも話せず、じっと自分ひとりの心の奥に閉じ込めている悩み。

そんな悩みを抱えているM女性に、何か手助けしてあげたい、それが僕の思いです。
4月7日(土)のパーティでは、いろんな方といろんなお話ができると思います。

前回のパーティでは、初めてでしたので僕もあわただしく動き回っていて、あまりゆっくりとお話する時間も取れませんでした。
今回は2回目ですから、もう少し僕も落ち着いていられると思います。

いろんなお話をゆっくりとしたい。
おいしい料理を食べながら、大好きなワインを飲んで、美しい景色を眺めつつ、お話をしたい。

今回のパーティも前回に負けないくらいに素敵な会場をご用意しましたので、まだ迷っている方は、ぜひご参加くださいね。
S男性はほぼ定員に近づきつつありますけど、M女性はまだ余裕があります。

こちらからお申込みください。

親睦パーティのご案内

3月14日
4月7日(土)のパーティの準備を、着々と進めています。
一度経験していますから、前回のような不安感はそれほどありません。
落ち着いて準備を進めていられます。

参加のお申込みも、だんだんと集まってきています。
前回の参加者はS男性とM女性を合わせて、合計30人でした。
その内、今の時点で8人の方が、今回も参加のお申込みをされています。

4月7日(土)というのは、年度替わりで忙しい時期だとは思うのですが、それでもこれだけの方がまた参加お申込みいただいているのは、とってもうれしいです。
またお会いして、いろんなお話ができると思います。

受付やパーティのお手伝いをしていただけるとのお申し出もあり、とっても心強いです。
心強い仲間が増えて行く、そんな気持ちになります。

これまで僕はずっと一人ぼっちでした。
このサイトを10年続けていても、調教するM女性以外には誰とも会わず、一人だけで生きてきました。

それが前回のパーティでいろんな方と実際にお会いして、知り合うことができました。
みなさん、とても紳士的な方ばかりでした。

SMということではなく、もし普通にビジネスの場でお会いしたとても、信頼できる人だと感じられる方々です。
「絆」ができていくように感じます。

3月17日
理屈じゃなくって感覚的に「分かる」って、とても大事だと思います。
説明されてようやく理解できるというのではなく、見た瞬間に、あるいは、ちょっと話を聞いただけで「ああ、この人なら大丈夫」とか「あ、この人には無理だ」とかが分かる。
「これなら問題ない、OKだ」とか「あれっ?何かがおかしい」と分かる。
そんなふうにして感覚的に分かるというのが、とても大切なんです。

「なぜ、そんなことが分かるの?」って聞かれても、それを言葉で説明することができません。
でも、分かるんです。

それが分かる人と分からない人の違い、説明することのできない違いが、そこにあります。
そしてその違いこそが、いろんな場面で決定的な要因となります。

例えば就活の面接でも、受かる人と落ちる人の違いは、ここにあります。
目に見えない、言葉で説明もできない大きな壁のようなものがそこにあって、その壁が人々を大きく隔てています。

感覚的に分かる人と分からない人の、2種類の人がいると感じます。
分からない人にいくら説明しても理解してもらえませんし、本人が勉強しても努力してもなかなか「分かる」ようにはなれません。
ある種の感性とか、センスとか言うもののような感じです。

3月18日
先日、梅の花を見に行ってきました。
天候にも恵まれていましたので、、多くの人が訪れていました。









桜の花の咲く少し前、今頃の季節は、何だか気持ちが揺れます。
卒業式が、あちこちで行われています。

冬が終わり、春の日差しが感じられるけど、風はまだ冷たい。
そんな季節の変わり目に、気持ちが揺れています。

今は、ちょうど別れの季節です。
大切な人と別れて、寂しさを感じる頃です。

3月19日
毎年、この時期になると悲しい気持ちになります。
僕はサラリーマンですから、この時期に転勤で何度も引越しを経験してきています。

辞令という紙切れ一枚で、住み慣れた土地を離れ、親しい人と別れて知らない土地に引越していきました。
弱い春の日差しと、冷たさの残る風は、引越しの寂しさを思い出します。

梅の花を歌った古い和歌があります。

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
                 主なしとて 春を忘るな

【通釈】東風が吹いたら、匂いを配所の私のもとまで寄越してくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春であることを忘れるなよ。

学問の神様、菅原道真が京都から九州の太宰府天満宮に流された時に詠んだとされています。
いわゆる左遷で、彼は生きて京都に帰ることはできませんでした。

僕が転勤で引っ越して行くたびに、大切な人との別れがありました。
仕事を持っていて遠くに離れてしまうと、なかなか会いに行けないものです。

去年の震災では、大切な人を失った方々がたくさんいると思います。
梅の花の咲く頃は、悲しい思い出の季節です。

3月23日
4月7日(土)のパーティの参加申し込みにつきまして、S男性は予定数に達しましたので、締め切りました。
M女性は、まだ大丈夫です。
M女性の参加お申込みをお待ちしています。

さて、ニュースで野村証券の営業員が三井アセット信託銀行のファンドマネージャーにインサイダー情報を漏らしていたと報じられています。
「またか」
これが僕の感想です。

そして、このインサイダー疑惑(疑惑なんて言葉を使うこと自体が、もう感覚がズレていると思いますね。普通なら事件と表現すべきです)に対して、野村証券は「情報管理のあり方を検討する方針」だとニュースでは伝えています。
「またか」
これもまったく同じ感想です。

「情報間のあり方」を、証券会社の最大手が、これまでにも何度も同じ問題を起こしていながら、これから「検討する」、しかもその「方針」だというのですから、あきれます。
これはつまり、実質的な対応は何も取りませんよ、お茶を濁すだけですよ、と言っているわけです。

AIJ投資顧問の企業年金の2000億円消失問題も、このインサイダー事件も、そして福島の原発事故も、根っこが同じに見えます。
AIJ投資顧問などの会社へは社会保険庁から多くの天下りがあり、そのOBネットワークが社会保険村を作っていました。

今回の野村証券のインサイダー事件でも、金融庁と証券取引等監視委員会、証券会社などで、証券村が作られているのが垣間見えます。
原発事故では原子力村の問題が指摘されていましたが、こういう「村」が大小いくつも存在しています。

証券村は、その腐り具合、持っているお金の大きさ、影響の大きさなどでは、群を抜きます。
もちろん、新聞社やテレビ局などのマスコミも、この証券村の実質的な一員です。
そして、ヤクザも昔から証券会社とからんでいます。

暗くて深い闇が、この証券村の中に存在しています。
表の顔とウラの顔、このふたつがこれほど違う村は他にはないほどです。

3月25日
先日の続きです。
今回のインサイダー取引に対して課せられた課徴金は、5万円だとニュースで報じられています。
たったの5万円。

しかも、インサイダー情報を漏らした担当者の名前も、情報をもらって株の売買をした人の名前も報道されていません。
マスコミは逆に、証券会社が仕事を円滑に進めていくためにはこういうインサイダー情報も時には必要だと報道している始末です。

アメリカでは、インサイダー取引をした会社には、何百億円という懲罰的課徴金を課し、インサイダー取引をした担当者は刑務所に入れられます。
インサイダー取引は、市場の公平性を乱す重大犯罪なのです。
世の中、グローバル化が進んでいると言われて久しいのに、日本の証券村では(マスコミも含めて)、これほどにズレているのです。

日本の証券取引所は、インサイダー天国と言われています。
これでは、日本の証券取引所の地位は中国やシンガポール、インドに抜かれて大きく水をあけられるのも、そう遠くありません。
国際的な地位が下がり、自らの首を絞めていきます。

原子力村が原発事故によって初めてその存在が明らかになってようやく変わろうとし始めたように、証券村も大きな事故が起きないとその存在は世間に知られることもなく、中身も変わらないということなのでしょうか。
大きな災害か、黒船や原爆のような外圧がないと、自らの力では変われない、そんな「村」の存在を感じます。

3月26日
「断捨離」という言葉を、時々目にします。
最初はどう読むのか分かりませんでした。
これまで見たこともない漢字の組み合わせでしたから。

(だんしゃり)と読むそうです。
「やましたひでこ」とか言う人が、この言葉を登録商標にしているそうです。
(こんな言葉を登録商標にするところが、商売っ気まるだしって感じです)

部屋の中のいらない物を捨てて、すっきりとした生活をしましょうというようなことを書いた本があるそうです。
僕はこれを聞いて、何をわけの分からんことを言っているのだと感じました。
いる物なら置いておけばいいし、いらなければ捨てればいい、それだけじゃないかと。
いらないのに捨てられないとか、いるかいらないか判断できないというのから、それは精神科に行くべきことであって、本を読んでどうかなるというものではないと思ったからです。

でも、振り返ってじっくり考えてみると、部屋の中にいろんな物を溜め込み、増やしていくというのは、女性にとっては本能だと気づきました。
この物を溜め込むという行為を逆に回すというのは、本能に逆行することですから、とても大変です。

女性は空間に自分の物を置くことで、その空間を自分のものとして確立するのです。
新しく入ったマンションは、すっきりとしてとてもきれいです。
でも、女性にはそこは何だか居心地が悪く感じられます。
そう、それはまだ自分の空間になっていないからなんです。
まっさらな部屋は、すっきりとしていてきれいだけど自分のものではない、そんな自分のものではない空間に自分がいるということに居心地の悪さを感じるのです。

そこで、自分がお店で迷いに迷って買ってきた物を置いたり壁に飾り始めます。
そうやって自分の物をその空間に置き、物を増やしていくことで、その空間が段々と本当に自分のものになっていくのが感じられるのです。

この行為は、犬のマーキングと同じです。
(マーキング=電信柱に犬がおしっこをする行為、動物が自分の匂いをいろんな目立つところに付けること)
自分のテリトリーを示す行為なのです。
動物的な本能に基づく行為ですから、これに逆行するのは並大抵ではありません。

僕の友人が新婚後、すぐに奥さんが新しいマンションの部屋中に物を置き始め、半年後には部屋の中にけもの道のようなものができて、その細いけもの道を通って毎日生活していると言っていました。
今まで、生れてから一度も家から出たことのなかった女性が、結婚して初めて知らない空間で生活をするようになったため、マーキングの本能が働き出したのです。
友人はこれを止めさせようとしたのですが、この戦いは相手の本能との戦いですから、凄惨を極めました。
結局、友人は1年後に白旗を上げ、無条件降伏と言う形で終戦を迎えたのでした。

僕は男性であり、こういう本能を持ち合わせていませんので、部屋の中はとてもさっぱりしています。
以前の日記にも書きましたが、寂しさを感じるほどに何も物がありません。

断捨離というのは、何も部屋の中にある「物的な物」に限ったことではないと思います。
いろんなしがらみに囚われ、古い考え方や習慣、周りの人の目などに囚われて、本当の自分を見失ったり、身動きが取れなくなったりしている。
そんなものを捨て去り、本当の自分を取り戻すことにつながっているように感じます。

「物的ではないモノ」を捨て去ることで、本当の自分に気づき、本当に自分がやりたいことができるようになるのは、とても素晴らしいことです。
「捨てる」というのは、残ったものに集中できるようにするということでもあります。
背水の陣という言葉は、退路を断つことで前面の敵に集中するという例えです。

平たく言ってしまえば、優先順位を明確にする、目的を絞り込む、と言うことですが、それでは何をどうすればいいのか分かりにくいから、「捨てる」と言っているようです。
どうでもいい物はどんどん捨てて行き、最後に残ったものが一番大切なものだと気づく、そんなことを今、ものをいっぱい持って身動きが取れなくなっている人に訴えかけることで、この断捨離という言葉が流行っているのなら、僕はそれもいいと思います。

3月30日
今日いっぱいで、パーティへの参加申し込みを締め切りたいと思います。
あと、今日一日は、お申込みができます。

S男性は予定数に達しましたので、もうお申込みはできませんが、M女性はまだお申込みが可能です。
迷っている方は、ぜひご参加くださいね。

前回のパーティでも、とっても楽しい素敵な時間を過ごすことができました。
いろんな方とお会いして、いっぱいお話しをしたいと思います。

お申込みはこちらから、どうぞ。

親睦パーティのご案内

3月31日
太平洋戦争で、アメリカの勝利を決定づけた3大発明は、
@レーダー
AVT信管
B原子爆弾
だと言われています。

この3つの共通点は何かと考えてみた時、このいずれもが日本軍からは「見えていなかった」と言うことです。
レーダーは、もちろん見える兵器ではありません。
太平洋戦争の後半になってようやく日本もその存在と重要性に気づき、開発に取り組みはじめましたが終戦までに実用化には至りませんでした。

VT信管は、これにさんざん苦しめられたのに、その存在は戦後になって初めて知るところとなりました。
終戦までこういうものがあることすら、日本は気付かなかったのです。

原子爆弾も、広島に使われるまで日本人は誰もこんな破壊力のある兵器を知りませんでした。
広島に原子爆弾を落とされて、初めて日本人はその脅威を知ったのです。

人や国の運命を左右するような重大なことは、「見えていない(知られていない)」場合が多いと感じます。
これはある意味、当然と言えば当然です。
見えていれば、知られていれば、その対策も打てるし対抗手段も講じられますから、運命を左右するような決定的な要素にはなりにくい。
見えている、知られているのに、対策も何も手を打たないというのであれば、それは怠慢以外の何物でもありません。

見せない、知られないようにするというのは、戦いにおける基本です。
最も大事なこと、本質的なコアとなる部分は、見せない、知られないようにするというのは、いろんな場面でごく普通に行われていることです。
そういうものが、簡単に見ることができる、知ることができるというのであれば、それは本物ではなくダミーの可能性があります。