M女の隠れ家

<2015年7月の日記>
2015年7月の日記

2015年7月1日
  
     ■ベッドで愛奴と寝ている時に、他の電話がかかってきて■
 もうずっと昔、はるか銀河のかなたでのお話です。
僕はあるM女性と付き合っていました。

ホテルでそのM女性を調教した後、ベッドで二人とも眠ってしまいました。
僕の調教を受けたM女性は、とてもよく眠ります。

僕の愛奴がホテルで眠ることは、ごく普通の事です。
その時も、僕の横でぐっすりと眠っていました。



愛奴がぐっすりと深い眠りに落ちているのが、横で見ていてよく分かりました。
その時、部屋のロッカーの中にかけてあった僕の上着のポケットの携帯が鳴っているのが小さく聞こえました。

僕はぐっすりと眠っている愛奴を起こさないようにそっとベッドから抜け出してガウンを着てから、上着のポケットから携帯電話を取り出し、部屋の外の廊下に出ました。
廊下で小さな声で携帯電話で話をしました。

電話の相手は、他のM女性からでした。
話の内容は他愛もない事でしたが、電話のタイミングが悪かったので、僕は短めに電話を終えて廊下から部屋に戻ろうとしました。

ところが、部屋に戻ろうとして鉄の扉を開けたら、ベッドで寝ているはずの愛奴が静かにそこに立っていたのです。
僕は心臓が止まるほどに驚きました。

僕の長い人生で、あれほど驚いた瞬間は他にあまりありません。
ベッドでぐっすりと眠っているはずの愛奴が、鉄の扉の向こうで僕の電話をそっと聞いていたのです。

僕は鉄の扉のドアノブを握ったまま、凍り付いて動けませんでした。
そして、そこに無言で立っている愛奴の後ろに青白い炎が見えました。

誇張ではなく本当に青白い炎が見えたのです。
マンガやテレビなどで描かれている青白い炎が、僕にはあの時、本当に彼女の後ろに見えたのです。

愛奴の後ろにゆっくりと揺れている青白い炎を見ながら、僕はヘビににらまれたカエルのように、ドアノブを握ったまま凍り付いていました。
あの時に感じた恐怖は、今でも忘れられません。

あの驚きと恐怖は、僕の脳裏に深く刻まれたままたぶん一生消える事はないでしょう。
今でもあの時の事を思い出すと、鳥肌が立ちます。

世にも恐ろしい瞬間でした。
あの後の凄惨さは、もう怖くて書けません。

7月2日

     ■言いたい事を何でも好きなだけ言えるのは■

 自民党の大西氏の発言が、大きな波紋を呼んでいます。

大西氏は、朝日新聞の従軍慰安婦に関する報道や、安全保障関連法案に関し徴兵制導入に言及した報道があったことに対し、「こういうことを懲らしめなければいけないんじゃないか。マスコミのやりたい放題じゃないか。そういうことで何かいい知恵はありませんか、と百田(尚樹)先生にたずねた」と説明。さらに「(報道機関を)懲らしめようという気はある」と明言した。

自民党の二階俊博総務会長は30日、記者団に「言いたい放題を言って歩いたらいいというもんじゃない」と批判。

 大西氏の発言に先立ち、自民党の谷垣禎一幹事長は30日昼にあった党代議士会で「仕事が前に進むようにするのが与党議員の使命だ。脇を締めて腰を落として頑張るつもりなので協力を心からお願いする」と呼び掛けたばかりだった。

まあ、大西氏の言っている事は極めてまともで、当たり前ちゃあ当たり前の事を言っているだけなんですけどね。
でもいくら当たり前の事であっても、誰でもが自由に言いたい事を言えるわけではありません。

その発言が誰にどういう影響を与えるかを考えて言わないと。
仮にも自民党の国会議員という立場に立てば、マスコミ関係者にも聞かれるような公けの場では、発言に慎重さが求められます。

僕のこの「ただのエロサイトの日記」なら、ほとんどこの類の政治問題には何でも自由に言えます。
何を言おうが僕の勝手、誰からも文句を言われる筋合いではありません。

でも、政治家となるとそうはいかない。
一言で言うと「立場が違う」のです。

いくら正しい事であっても、その立っている位置によって、言っていい事と悪い事があります。
残念ながら、それが大人の世界です、そしてこれも当たり前ちゃあ当たり前の話です。

7月6日
     
■何か燃えるものがないと僕は頑張れない■
 以前の日記にも書きましたが、僕がこのサイトを立ち上げようとしていた時は、仕事もかなり難しい時期でした。
日中は仕事で散々苦労して、夜、家に帰ってから一人でこのサイトを立ち上げるために夜明け近くまで頑張っていました。

今振り返れば、あの時のエネルギーはどこから出ていたんだろうと不思議に思うくらいです。
でも、何か燃えるテーマがあれば、頑張れるし、いくつもの障害を乗り越えて行けるものです。

あの時は大きな環境の変化があり、僕自身がとても深く悩み苦しんだ時期だったのです。
そして、今また大きな環境の変化の中にいます。

でも、燃えるテーマを見つけられずに、宙ぶらりんの状態です。
前回のような苦しみは、今回はありません。

やはり苦しみがないと新しいテーマは産まれないのでしょうか。
産みの苦しみが必要なのでしょうか?

7月7日
    
 ■愛奴と会う頻度はどれくらい?■
 今日、7月7日は七夕です。
年に一度だけ織姫と彦星が会える日と言われていますが、愛する者同士がどれくらいの頻度で会えるかは、二人の関係の強さに大きく影響します。

他のサイトやブログを見ていると、週に一度とか10日に一度という頻度で会っているのを見かけたりします。
僕の場合、愛奴と会う頻度は月に一度か、多くても二度くらいでしょうか。

これには、仕事の多忙さも大きく関係します。
お互いに仕事を持っている身ですから、仕事の合間を縫って日程が合う日となると、なかなか難しいところがあります。

たまになかなか会えない日が続くと、愛奴からのメールにも少し恨みが入ったりします。
でも織姫と彦星のように年に一度というのは、いくらなんでも少な過ぎますね。

これでは、二人がかわいそう…。
もう少し会わせてあげたいものです。

7月8日
     
LGBTをセクシャルマイノリティと言い換えると■
 これまでもLGBTと言う言葉がいろんな場面で使われてきましたが、単にこのレズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの4つだけが性的な差別を受けてきたわけではありません。
他にも、S性やM性を持っている人々も、世間から偏見の目で見られ差別を受けてきました。

性的少数者と言っているにも関わらずこのLGBTという4つだけに絞ってしまう事は、他のSやMやそれ以外のいろんな性的少数者を排除してしまう事になります。
性的な差別や偏見をなくすのが目的のはずなのに、この4つに絞って他を逆差別することになってしまっていました。

今回のLGBTという言葉を止めてセクシャルマイノリティ(略してセクマイというそうです)という言葉にする取組みは、とてもいい事です。
これならS男性もM女性もセクシャルマイノリティに含まれます。

いろんなパレードやPRにおいて「性の多様性に対して寛容な社会を目指す」という崇高な目的を掲げることができます。
偏見や差別のない社会を目指していけるのです。

もしまだLGBTと言う言葉を使っている人や団体を見かけたら「いつまで逆差別を続ける気なのか?」と非難しましょう。
偏見や差別を助長している人たちだからです。

来年の「レインボープライド2016」においてLGBTがセクシャルマイノリティという言葉に変わっていたならば、ボンデージファッションに身を包んだM女性や、鞭や縄を持ったS男性もパレードに参加できます。
これでみんな性的少数者の仲間入りです。

LGBTだけでなくSやMも、そしてロリも。

7月9日
     
■駅のホームや改札で愛奴と別れる時は■
 愛奴との別れ際では、僕は見送るほうが多いんです。
駅の改札やホームで別れる場合が多いんですが、その時、僕は見送られるよりも見送る側になるんです。

改札の向こうに歩いて行く愛奴の姿が見えなくなるまで、僕は遠く小さくなっていく愛奴の後ろ姿を見つめています。
人混みの中に紛れて見えなくなるまで、僕はその後ろ姿を探し続けます。

ホームで別れる時は、電車が出発し見えなくなるまで、僕はホームに立って見ています。
別に見えなくなるまで見つめている必要はないのですから、途中で僕もクルリと背を向けて帰ってもいいとは思うのですが、そうするのに小さな抵抗感があるのです。

なぜ見えなくなるまで見つめているんだろうって考えていたら、こんな結論に至りました。
「これが最後かもしれない」
そう心のどこかで思っているからではないかと。

これまで、数多くの女性と出会いそして別れてきました。
別れは、ちゃんと言葉にしてお互いに納得して別れた事もありますが、そうではなくいつものように駅の改札で別れたのに、それっきりメールが途切れて別れた女性も多いのです。

またいつものように会えると思って笑顔で「またね」と言って駅の改札で別れたのに、実はそれが最後の見納めだったという経験を何度もしているのです。
だから「これが最後かもしれない」と、心の奥で不安に思っていて、愛奴の姿が見えなくなるまで僕は見つめてしまうのです。

ずっと以前に付き合っていた女性から、逆の事を言われたのを思い出しました。
「別れる時は、見送られるよりも見送りたいの」
そう言った女性がいました。

彼女は、今の僕と逆の事をしていたのです。
彼女と付き合っていたその当時は、僕はあまり深く考えもせずに「ふーん、僕はどっちでもいいよ」」って軽く答えていました。

彼女の気持ちが、今はとてもよく分かります。
「これが最後かもしれない」
その思いが心のどこかにあるから、僕はずっと見えなくなるのまで愛奴の後ろ姿を見つめています。

7月14日
    
 ■労働市場が流動化から粉砕化に進んでいくと■
 あるブログを読んでいたら、最近、アメリカでギグ・エコノミー(Gig Economy)という言葉が頻繁に使われ出していると書いてありました。
ギグと言うのは、単発の仕事という意味だそうです。

会社に雇用(正規や非正規にかかわらず)されて仕事をするのではなく、フリーランスで働いていてその都度、クライアントの会社から仕事を受注する形です。
これ自体は、何ら目新しいものではありません。

これまでもいっぱいあった働き方ですし、「業務請負契約」というちゃんとした(古風な)名前もあります。
最近になってこんなギグ・エコノミーなどという名前で呼ばれるようになった理由は、その規模が急速に拡大してきているからです。

この働き方が急速に拡大してきた理由は、インターネットの影響によるものです。
インターネット上で、単発仕事を依頼する会社とフリーランスで仕事を探している個人を結びつける場が拡大してきたことによります。

日本でも、クラウドワークスランサーズという会社がネット上で、クラウドソーシングという名前でこういう場を提供しています。
どちらの会社も、自分が「日本最大級」だと言っているところが面白いですね。

他にも同じようなことをしている会社は、今ではいっぱい存在します。
専門商社的に特定のジャンルでは「日本最大級」なクラウドソーシングの会社も、いくつもあります。

かつて「雇用の流動化」と言われていましたが、このギグ・エコノミーが拡大してくると「流動化」から「粉砕化」に進んでいくことになります。
仕事が粉々になって、単発仕事で会社の業務が回って行くようになります。

会社の中では、管理部門や一部の部署にだけ社員がいて、他のメインの仕事はみんな外注で回しているという形になります。
そして、こんな会社も今に始まったわけではなく、古い有名な会社でもこういう形態のところはいくらでもあります。

例えば、出版会社などがそうです。
有名どころでは、小学館や講談社、集英社などがあります。

メインコンテンツとなる小説やマンガを描いているのは、小学館や講談社の社員ではなく、外部のフリーランスの人たちです。
連載が終わればそれっきりで、契約も終わります。

小学館とフリーランスの作家さんは、雇用関係にあるわけではありません。
これからは、これと同じように普通の仕事でも外部のフリーランスにその都度発注するという形態に、大きく変わっていく可能性があります。

このギグ・エコノミーが見せる将来像は、全て明るい未来というわけではありません。
有能な人のところには高額な仕事が集中し高収入を得ることになりますが、それ以外の人には単価の低い仕事しか回ってきません。

つまり市場主義が端的に表れるのです。
組織に所属していれば給料がもらえて食っていけた時代は、もう過去のものになります。

所属する事に価値はなくなり、いかに優れた仕事をするかだけが収入に直結するようになります。
今は、この変化の過渡期の入口にいると言えます。

7月17日
     
■今月のトップページの写真を拡大してみるとこんな縛りになっています■
 今月のトップページの写真の縛り方を知りたいというご要望がありました。
あの写真を拡大すると、こんなふうな縛りになっています。
僕の好きな縛り方です。



この縛りをされると、身体を屈めることがてきなくなり、股間に喰い込んでラビアの間を通っている2本に麻縄は、少しでも体を動かしたり呼吸をするだけでも敏感なところを刺激する仕組みです。
この子は、まだ若いのでピンクの小さな乳首がとっても可愛いですね。

こういう可愛い乳首を見ると、とてもいじめたくなります。
ピンクの乳首に紐付きのクリップを付けて引っ張り上げると、とてもいい声で泣きます。

この子が連れて行って欲しいと望んでいたSMホテル「アルファ・イン」の中でも、一番人気のある岩窟王の部屋で調教しました。
その様子は、調教写真館にいずれ載せたいと思います。

7月19日
     
■ツートラックとは二枚舌のこと?■
 韓国のツートラック外交が批判を浴びています。
でも、元々外交というものは、理想や建て前・(国民)感情などと、経済や安全保障(つまり軍事面)を天秤にかければ、圧倒的に経済や安全保障が重くなるものです。

「名よりも実を取る」ことが求められると言えます。
これは、外交に限らず個人生活においても同様です。

大人であれば、理想や建て前・感情よりも、実利的な部分を重視すべきです。
よく「感情よりも勘定」と言う表現もあります。

自分の感情をコントロールすることができず、周りの人に迷惑をかけたり、周りから浮き上がってしまい疎外されたりしている人をたまに見かけます。
感情に振り回されているような人です。

僕も以前は、感情はコントロールするものだという認識がなく、ただ自分の感情のおもむむままに行動し発言していました。
その事が僕にとって大きな損失になっていると、その頃は気づきもしませんでした。

僕はそのことを理解するのに、とても長い年月を要しました。
精神的に大人に成長するのがとても遅かったと、自分自身で思っています。

すごい反省と後悔が僕の中にあります。
いつまでも子供じみていた自分がとても恥ずかしく、そして残念です。

7月21日
    
 ■本物のS男性を見つける方法■
 普段の生活の中で、Sっぽく見える人やS的な性格の人は、まず間違いなく本物のS男性ではありません。
本物のS男性は、普段は穏やかで優しい男性が多いものです。

ただし、SM関係の仕事をしている人は、別です。
その人たちは、仕事として普段からSっぽくふるまうことやSっぽく見られる必要があるため、外見や行動や言葉遣いをSっぽく作っています。

そんな人以外は、自分を普段からSっぽく作る必要はありませんから、普段はとてもSには見えません。
Sになるのは、Sのスイッチが入った時だけです。

そして、Sのスイッチを入れることは、ほぼ自分でコントロールできます。
いつでもむやみやたらにSのスイッチを入れるわけではありません。

慎重に本物のM女性を調教する時だけ、他の人には分からない時だけ、Sのスイッチを入れます。
Sのスイッチが入ると、声のトーンも話し方も、表情も雰囲気も全てが変わります。

周りの空気までが変わります。
その時、初めてSだと知る事ができます。

普段の生活の中では、本物のS男性はそのS性を深く隠しています。
そして、Sのスイッチは普段の生活の生活の中では、まず入れる事はありません。

だから、普段の生活の中でSっぽく見える人やSっぽく振る舞っている人は、本物のS男性ではないのです。
結論として、本物のS男性を普段の生活の中で見つける方法は、残念ながらありません。

7月23日
     
■東芝の会計問題に見る日本的な体質■
 最近話題のニュースと言えばやはり東芝の会計問題ですが、これは明らかに粉飾決算です。
にもかかわらず「不正会計」とか「粉飾決算」という表現を使わずに、おバカの日経新聞は「不適切会計」などというやわらかな(?)表記をしています。

日経新聞は読者を無視してまで一体、誰に遠慮しているんでしょうかね。
こうやって表現方法を歪めるのは、朝日新聞の常套手段でした。

「記事のねつ造」を「誤報」だと表記しているのも、朝日新聞です。
「企業が犯す金融犯罪」を「不祥事」と表記しています。

ま、他のマスコミでも似たり寄ったりですけどね。
こうやって企業とマスコミの癒着構造が作り出されていきます。

今回の東芝に限らず、これまでにも他の企業でも何度も粉飾は表ざたになり、社長などのトップの辞任で終わっています。
粉飾は表ざたになることだけが「悪」であり、監査法人による監査はほとんどが形式的なものに過ぎません。

マスコミとの癒着以外にも、トップが辞任すればそれで終わりという決着の仕方も、とても日本的です。
毎度のパターンと言ってしまえばそれまでですけど、もう見飽きるほどに何度も見て来た茶番劇です。

売上や利益の水増しは、別に東芝に限ったことではなく、どこの会社でもごく普通にやっていることです。
部下に過度なプレッシャーを与えて売上や利益を求めれば、当然のごとく部下は数字をごまかして報告します。

水増しされた数字だと分かっていても、それをまとめてさらトップへと報告されて行きます。
トップも分かっていて、さらにプレッシャーをかけ続けます。

「数字はプレッシャーで作るもの」とか「プレッシャーをかければ数字はいくらでも出てくる」と思っているトップは、どこの会社にもいます。
そのプレッシャーをまともに受けて、押しつぶされてうつ病になる社員もいますし、数字をごまかして出世する社員もいます。

会社の上から下まで、もう何度も見て来た茶番劇をいつまでも演じています。
これは今に始まった話ではなく、太平洋戦争中の前線からの戦果報告でも全く同じことが行われていました。

数字で評価されるなら「数字は作ればいい」のです。
バレるのはやり方がヘタクソだったか、やり過ぎたのかのどちらかです。

書いていて虚しくなるような日記ですね。