M女の隠れ家

<2018年4月の日記>
2018年4月の日記

2018年4月1日
  
      ■今月も初登場の子■
 今月の写真の子も、これまでに一度も写真を載せたことはありません。
初調教の時の写真です。



若い子の初調教って、まだまだ硬さが見えますね。
写真を後になって見返すと、緊張していて体が硬いのがよく分かります。

何度か会って調教が進んでいくと、体の感じがふにゅってしてきて、柔らかさと色気が感じられるようになるんですけど。
始めての調教の写真は、それはそれで初々しさがあっていいものです。

スポーツをしている学生らしい体つきです。
家族と一緒に住んでいるのでパイパンにできないというのは、ちょっと残念・・・。

4月2日
      
■品行方正な中国人、正直者の朝鮮人■
 どの会社にもそれぞれに独特の社風というものがあり、歴史の長い会社ほどその社風というものも世間の常識から離れたものになりがちです。
「我社の常識は世間の非常識」
と言う言葉もあります。

組織というのは、大なり小なりそういう独自のものを持つものです。
組織の最大のものが国家であり、そこには国民性というものが存在します。

社風でもなかなか変わらないものですが、国家の国民性、民族の民族性となるとそれはもうおいそれとは変わるものではありません。
中国人はどこへ行っても「わがままでルールやマナー無視」というのが定説であり、朝鮮人は「うそつき」というのが常識です。

そんな中国人が急に品行方正になったり、朝鮮人が正直者になったりするなんて、僕には信じられません。
北朝鮮が対話ムードになったからといって「朝鮮半島に春が来た」なんて能天気な事を言っている解説者もいます。

いろんな変化を分析する時に良く使う手法があります。
@何が本質的に変わったのか?
Aそれは、なぜ変わったのか?
この2つを見ることです。

金正恩委員長が急に正直者に変わったとは、とても思えません。
本質は変わっていないと見るべきです。

表面的な変化だけです。
ワガママ中国人が品行方正になる?
うそつき朝鮮人が正直者になる?

「んなワケねぇだろ?」

4月3日
     
 ■春の匂いがする■
 今年は、3月後半から春の匂いを感じています。
年によって、感じる年もあれば全然感じない年もありますし、その時期も2月半ば頃からだったり、今年のように3月後半だったりと、バラバラです。

春の匂いを感じるのは、僕だけの感覚のような気もします。
都内の桜も、散り始めているところが目立ちます。

桜の句や歌はあまたありますが、こんな桜の歌を歌った西行という歌人がいます。
西行は、平安末期から鎌倉時代の人(1118年〜1190年)です。

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃
(願いが叶うならば、桜の下で春に死にたい、草木の萌え出ずる如月の満月の頃がいい)

このなげやりで「もう、どうでもいいや」と言った感じの中にも、小賢しい要求を織り交ぜているところに好感が持てます。



これは西行寺幽々子です。
歌人の西行法師とは別人です。

4月4日
      
■グレナダ侵攻■
 朝鮮半島危機が無事に平和的に解決できるとなれば、それはそれで素晴らしい事ですけど、とてもそんな事が起こるとは僕には思えません。
「朝鮮半島危機が平和的に解決する」とはどういう事を意味するかを考えれば、すぐに分かります。

@北朝鮮が核を放棄する。
Aそれを不可逆的なものとして固定化する。
B見返りとして、北朝鮮のこれまでの体制を維持する。
C莫大な経済援助を日米韓が行う。
D北朝鮮とアメリカが平和条約を締結する。

これだけのステップを一気に、およそ半年程度の短期間で成し遂げなければならないのです。
このどこかのステップで躓けば、それで全てが終わり振出しに戻ります。

これまでに北朝鮮は8回も経済援助を受け取るだけで、約束や合意を破ってきた歴史があります。
こんな事を、今回は成し遂げられると言うのでしょうか?

もし、できなければ、もう一つの道しか残っていません。
第二次朝鮮戦争です。

アメリカは、かつて同じような事をグレナダでやった成功体験を持っています。
グレナダ侵攻

グレナダでやった事を、北朝鮮でもっと大規模にして実行する道が、トランプ大統領が一番やりそうな気がします。
グレナダ侵攻をやったのはレーガン大統領であり、トランプ大統領はレーガン大統領を真似ているというのはよく聞く話です。

4月5日
      
■これからのAI時代に人が人を教える?■
 1月22日のこの日記に「未来の上司は人工知能(AI)に」というエントリータイトルで書きました。
いずれ上司がAIになる時代が来ると予想している訳です。

でも、それより前に学校の先生がAIになる時代のほうが先に来ると思います。
誰もが感じているように、学校の先生というのはそのレベル差がはなはだしい。

高校などでは進学校の先生と、そうでない高校の先生ではレベルがまるで違います。
高校間の差だけでなく、先生ごとの個人差もとんでもなく大きくて、どの先生に当たるかは生徒のその後の人生に大きく影響するのに、それはもう運まかせです。

 AIが進化すれば、もう人間の「先生」が生徒を教えるのではなく、AIの「先生」が教えるようになります。
いつまでも、レベル差のひどい先生たちが生徒を教える必要はなく、普段の授業はAIで十分というわけです。

人間の先生は授業を持たず、AIで対処できないようなイレギュラーな生徒や事態への対応に集中します。
これをある企業のCEOは「教育をしない教師」と呼んでいました。

彼の話では「今の学校は先生を中心にした仕組みになっている、本来、学校は生徒中心であるべきだ」というのです。
「これまでは先生というリソースが少なかったから一人の先生に数十人という生徒が付く形式の教育になっていたが、AIが先生になれば一人一人の生徒にAIは対応できるので、生徒中心の教育が可能になる」とも言っていました。

国もその方向に動き出しており、民間企業の中にもAIが先生の代わりをする製品を提供している会社が上場していて、一部の学校では既にその会社の製品が導入されています。
AIが進化した時代には、何がどう変わるのかを想像すると、不思議な世界が見えてきます。

4月12日
      
■調教中の水分補給■
 新年度に入って、僕の部署に新しい仕事が割り振られてきました。
これまでやった事のない仕事です。

おかげで、一気に忙しくなってきました。
4月はいろんな変化がありますね。

 さて、調教では、されるM女性もするS男性にもすごく体力を消耗するものです。
スポーツをした後のような、心地よい疲労感が調教の後で感じられます。

それだけに、スポーツと同じように調教中は水分補給は欠かせません。
当人が意識していないくても確実に体からは水分が失われていますので、水分補給は計画的に行う必要があります。

S男性である僕は、そのことを知っています。
でも、M女性にはそういう余裕がないという事が往々にあるものです。



だから、僕は水分補給を調教の合間に必ず意識して入れています。
SMでは、やっぱりS男性の側がいろんな事を細かく考えて、配慮してあげるべきだと僕は思っています。

4月13日
      
■ウィンストン・チャーチル■
 映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」が公開されています。
この映画では、チャーチル役のゲイリー・オールドマンが、第90回アカデミー賞の主演男優賞を受賞しています。

中国の習近平と北朝鮮の金正恩が手を組んだこの時期に公開されたこの映画は、とてもタイムリーです。
ナチス・ドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニが手を組んで世界を脅迫していた頃の姿と、見事に重なります。



ウィンストン・チャーチルは「世界を救った男」として歴史にその名を残しました。
一方、ヒトラーに対して宥和政策を取ったチェンバレンは、「間抜けなお人好し」として歴史にその名を残しています。

独裁者に宥和政策は通用しないというのは、数々の歴史が証明している事です。
今、中国と北朝鮮が手を組んでいるこの時代に、誰がチャーチルとなり、誰がチェンバレンとなるのでしょうか?

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領あたりがチェンバレンになりそうな気がします。
あの間抜けさは、まさにそっくりです。

「歴史は繰り返す」という言葉が、重く響きます。

4月17日
      
■薄れゆくS性■
 仕事が多忙になると、僕のS性が薄れていきます。
普通のセックスに対する欲求は、もうほとんどありません。

今年は、新年度に入ってからの忙しさは、例年よりもずっとひどい。
早く落ち着いて欲しいものです。

このまま僕のS性が薄れていって、消えてしまうんじゃないかと、ふと不安になります。
S性が消えてなくなってしまった僕なんて、出がらしのお茶みたいなもんですぞ。

出がらしのBlue、なんて・・・。

4月22日
      
■家族学のすすめ■
 「幸福な家庭はすべてよく似ているが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」
ロシアの文豪トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』の冒頭の文章です。

現代の家庭(家族と言い換えてもいい)は、結婚という制度を前提にして成り立っています。
今、この結婚という制度そのものが、もう実質的に崩壊し始めていることに気付かなければならない時に来ていると僕は思っています。

2017年4月5日の日記に「男性のほぼ4人に1人が生涯未婚」というエントリータイトルで書きました。
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の調査では、男性のほぼ4人に1人が生涯未婚です。

男性の4人に1人が生涯未婚で、残りの3人のうちの1人は離婚します。
さらに残った2人のうちの1人は、本当は離婚したいのだけれども世間体や経済的な理由、子供の養育問題などから、止む無く冷めた結婚生活を続けています。

つまり望んで結婚生活を続けているのは、4人のうちの1人だけというデータ結果になります。
もう結婚という制度は、実質的には破たんしていると考えるのは、僕だけでしょうか?


と、あの日記に書きました。
2017年10月5日と6日、7日の日記には「3組に1組が離婚するということは?」というエントリータイトルで書きました。

今の時代は3組に1組が離婚すると言われています。
これを別の表現にしますと、こうなります。

「この道を行く車の3台に1台は事故る」
結婚とは、こういう道だということです。
こんな道を走りたいと思いますか?


と、あの日記に書きました。
結婚という制度が崩壊し始めているということは、この結婚を前提としている家族(家庭と言ってもいい)というものまでが崩壊し始めていると考えなければなりません。
国や社会を成り立たせている最小単位として家族は位置づけられていますが、その家族そのものがいまや崩壊の危機にあるのです。

4月23日
      
■家族学のすすめ、その2■
 今から70年ほど昔、つまり二世代ほど前までは、家族は「家制度」のもとで成立していました。
家柄とかお家存続という意味合いがとても強く、家族とはその「家」を守るのが一番の役割でした。

戦後の高度成長期に核家族という形が生れ、ニューファミリーという言葉とともに男女がそれぞれの「家」というものから独立して、お互いの感情と打算によって結びつく結婚という制度から家族を作るようになりました。
そして現在、家制度というものがほとんど機能しなくなり、核家族という形が一般化しましたが、それが崩壊し始めているのです。

結婚という制度が崩壊し始めれば、家族という形も崩壊するのは必然です。
結婚という制度を前提としない新しい家族の形を、今ここで作り直す必要が生れてきています。

「家族学」という分野はまだそれほど発達しているものではありませんが、これからはその重要性は大きくなると思います。
現実を後追いするような学問ではなく、「理想の家族」や「あるべき家族の形」を提案するような力強さを持った「家族学」が、これからの時代は必要になると僕は思います。

4月24日
      
■家族学のすすめ、その3■
 テレビや映画、小説などで、どれほど多くの家族を題材としたものが作られてきたことでしょう。
家族を持つことでの喜びもありますが、一方で苦しみや悲しみ、憎しみも抱え込んでしまうリスクが生れます。

そして、一旦家族というものを得てしまうと、それはもう簡単に手放すことはできません。
家族を解消するということは、もう不可能に近い作業ですし、多大な労力とコストが必要になります。

家族を持つことで生れる苦しみや悲しみ、憎しみなどの「負」の要素と、それを解消する際に必要な多大な労力やコストを考えると、家族を持つということがいかにリスクの高いものがが分かります。
かつては、家族を持てという社会的な強い圧力がありました。

親戚一同や地域社会、職場などから、いつまでもいい年をして一人身でいると、早く家族を持つようにと強い圧力をかけられました。
でも、今ではそういう圧力は以前ほどには強くありません。

そうなれば、家族という高いリスクを抱え込むのではなく、一人身の気ままな暮らしを続けるという選択肢も、十分に生きてきます。
企業において従業員が人件費というコストになったように、家族はリスクとしてみなされる時代になったのです。

4月25日
      
■家族学のすすめ、その4■
 来年、平成の時代が終わり、新年号の時代が始まります。
それと同じように、これからの新しい「家族の姿」を作り上げていく必要があります。

新しい家族の姿は、これまでのような結婚と言う制度を前提としたものではなく、価値観や趣味、職業、性癖、経済力など複数の要素によって成り立つような、多様性と流動性のあるものになっている気がします。
男女が一対一で結婚を前提として作るのではなく、複数の男女がいろんな要素ごとに結びついている家族の姿です。

そんな「未来の家族像」は、これまでとは違って、その形はひとつではなく複数、少なくとも5種類以上はあるような気がしています。
これまでの家族が持っていた苦しみや悲しみ、憎しみと言った「負」の要素が克服され、多くの人が受け入れられるような「未来の家族像」を描くことができた時、ようやく家族はリスクではなくなると思います。
未来の家族像を描く役割を持つのは、意外に身近なテレビや映画かもしれません。

これまでも家族の姿を描いてきたものは、マンガやアニメだったのですから。
昭和の時代のサザエさんから始まり、ドラえもんにクレヨンしんちゃんへと続いてきました。

新年号の時代には、どんなアニメが新しい家族の姿を描くのでしょうか。
少なくとも崇高な学者や有識者なる者たち、政府の役人が集まった国が主催する○○委員会などというものが描く家族の姿ではないと、僕は思います。

未来の家族像が明確になるまでには、まだ数十年はかかるかもしれませんが、どんな未来像が描かれるのか楽しみでもあります。
あるいは、その頃にはもう家族という概念そのものが消滅しているかもしれませんけど。